2012年5月10日木曜日

平等ということ

平等という病にかかっている
そういう人がたくさんいる。

公平とか平等とか、一体なんなのだろう。
教育の平等もしくは平等に教育を受ける権利がある
といった時に「能力に応じて」という一節が入る。

この能力に応じて、の解釈が歪んでいる。
能力に応じてと言った場合、より能力の高いものを抽出して、
高度な教育を与えるというイメージを持つことが多い。
これは能力自体が「力」であるので、
強い、高い方が好ましい、という認識が支配的だからだろう。

しかし、この「能力に応じて」というのは、
厳密には「能力の『低い』者に応じて」ということなのだ。
能力の高いものにも低いものにも教育を保障しないといけないと
念押ししているのだ。

これと、平等の概念はどう両立するのだろうか。
能力の低いものに応じた教育は、
能力の高いものと同等の力をつけさせる教育なのだろうか。

平等がもし、皆に同じ能力を付けさせることを指すのであれば、
平等は実現されない。
元々能力は不平等だからだ。
高低のある能力を持つ人間に対して、
同じ能力をつけさそうとすれば、能力の低い者について、
より多くの資源(時間と支援)が必要になる。
能力が元々高いものは、資源がかからない。

かけられる資源に差が出れば、
不平等だということになるだろう。

平等を目指せば、
平等が実現され得ない。

教育に限らず、そういう側面はある。
社会的存在である限り、人間に平等な状態なぞないのだ。

さて。
能力に応じた教育の平等とは一体なんなのでしょうか。

皆さんは、能力に応じた教育を受けられましたか?
その結果、今「平等」ですか?