2012年5月14日月曜日

リベラルとマフィア

リベラリストは嫌いである。
なぜならば、日本のリベラリストは
全て新自由主義的だからである。

君が代という歌がある。
あれは、ただの歌だ。
あの歌に意味を持たせたのは国家であり、
国家の支配のためにあの歌を使うのである。

自由主義を希求する自由民主党と民主党が、
全くの自由主義を恐れた結果、
愛国思想を利用しようとしている
それがあの歌の存在理由だ。

私はリベラリストとは、
米国型の自由主義を実現することに価値を置く人だと思う。
しかし、今リベラリストぶっている人たちは、
完全な自由主義に耐えきれ無いにも関わらず、
自由主義者かのように振る舞っているのである。

自由主義というのは、市場の原理で動くものである。
市場の原理とは、否応なくサービスを貨幣価値に変換する。
今のサービスはいくらか、というのを計り、
自由に個人の選択をあおぐ。
もちろん安くて良いサービスを選ぶのだ。

それをすると、何がおこるか、というと、
既得権益や、縁故などといった価値は相対的下位におかれ、
今まで取引をしていた企業、官公庁などとの繋がりが否定される。
ご縁で繋がった取引先、そんなのはどうでもいいのだ。
貨幣に換算できる価値を作り出さないものは意味がなく、
個人の選択は経済的な質に集約されていく。
個人の思いも全て経済的価値に変換されるのだ。

本来、小泉改革とは自由主義を追求し、
既得権益を排除すると公約したがために
多くの市民の賛同をえていた。
しかし、否応ない自由主義経済の導入を
内閣以上に大きな権力をもつ既得権益が邪魔したのである。

つまり、既得権益の排除が進んだのは、大きな権力を持たない、
個人の労働市場であった。
結果、非正規雇用の増加と、公務員の削減が進んだだけだった。
個別の権利を奪うのは、権力側には簡単なことで、
若者バッシング、公務員バッシングを上手く使ったのである。
しかし、本来自由主義の障壁になる
大きな既得権益には内閣や自民党など足下にも及ばなかった。
大企業や天下り企業などは何も変わらず、既得権益を温存しているのである。

これが残念ながら、
日本のリベラリズムの現実だ。

リベラリズムは大きな既得権益を前に敗北しているのだ。
惨敗。
それを棚にあげて、自由な経済活動を阻害するな、個人の責任だ、などどぬかすな。

真のリベラリストの闘う相手は既得権益だ。
原発利権、基地利権だ。

リベラリストを無力にしたのは、
歌である。
君が代という歌である。
リベラリストは自由主義を希求するので、
個人の利益を最大限に考え、バラバラになってしまう。

それを止めるために、出て来たのが、君が代という歌である。
いま、あなたがしんどいのは既得権益でなくて、敵国のせいだと、
敵は韓国だよ、在日朝鮮人は犯罪をするよ、
古い憲法を作った米国のせいで教育は腐敗してるよ、
北朝鮮はミサイルを打つよ、といって、
愛国を煽る。それに呼応するリベラリスト。
本来の敵は既得権益だろうが。

そんなのはリベラリストではなくて、
新自由主義者だ。
全て政府の言いなりになって、
弱いものイジメをしているだけの、
あくどいただの
マフィアだ。